道-Tao-を描く 〜老子を詠む女性画家たちの講読会〜

<一晴画廊 企画展ブログ> 中国古典の名著、老子『道徳経』をテーマに2018年10月30日(火)〜11日11日(日)に京都の一晴画廊にて展覧会を開催します。それぞれの画家が老子を読み解き、絵画へと変換していく思考の過程を一般公開する、新しい試みのブログです。

二〇、唯と阿を相い去ること幾何ぞ  宮毬紗

宮毬紗です。

 

 

パッと『老子』の本をめくると、この章になりました。

 

ある人のことを考えていました。

 

まるで、この句を、そのまま現代語訳にしたようなことを言われていました。

 

「衆人は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如(ごと)く、春に台(うてな)に登るが如し」

 

少しでも良いことがあると、子供のように大よろこびして有頂天になり、悪いことが起こると、すぐに攻撃的になる私を、いつも心配してくれていました。

 

穏やかな、波のような人格になりなさいと。

 

老子は、楚の国の、守蔵室、いまの図書館のようなところで、秘書のような仕事をしていたそうです。

 

その人は、国語の先生でした。

私も、言葉をよく識る人になりたいと、憧れました。

 

老子が、その人への感謝を、思い出せてくれます。

 

 

学を絶てば憂いなし。

唯(い)と阿(あ)と相い去ること幾何(いくばく)ぞ。

善と悪と相去ること何若(いかん)ぞ。

人の畏(おそ)るる所は、畏れざるべからざるも、荒(こう)としてそれ未だ央(つ)きざるかな。

衆人は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如(ごと)く、春に台(うてな)に登るが如し。

我れは独り怕(はく)としてそれ未だ兆(きざ)さず、嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如し。

儽儽(るいるい)として帰(き)する所なきが如し。衆人はみな余り有るに、而(しか)るに我れは独り遺(うしな)えるが如し。我れは愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり。

俗人は昭昭(しょうしょう)たり、我れは独り昏昏(こんこん)たり。

俗人は察察(さつさつ)たり、我れは独り悶悶(もんもん)たり。

澹(たん)としてそれ海の如く、飂(りゅう)として止(とど)まるなきが如し。衆人はみな以(もち)うる有り、而るに我れは独り頑(かたくな)にして鄙(ひ)なり。

我れは独り人に異なり、而して母に食(やしな)わるるを貴ぶ。

 

 

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