道-Tao-を描く 〜老子を詠む女性画家たちの講読会〜

<一晴画廊 企画展ブログ> 中国古典の名著、老子『道徳経』をテーマに2018年10月30日(火)〜11日11日(日)に京都の一晴画廊にて展覧会を開催します。それぞれの画家が老子を読み解き、絵画へと変換していく思考の過程を一般公開する、新しい試みのブログです。

子育てと制作を支えてくれた老子  宮毬紗

宮毬紗です。

 

この記事で、第1章について書いていたとき、子育て中のことを思い出していました。

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とても、しんどかったです。

 

精神的な葛藤と、肉体の疲労と、それが毎日溜まっていく感じでした。

 

 

初めて『老子道徳経』を手にしたのは、その頃でした。

 

制作に集中したい。

 

でも子育てもしなければいけない。

 

成功か、失敗の両極しか考えられないほど、未来の像が見えなくなっていた時でした。

 

良い本に出会えたと感謝しています。

 

引き裂かれていく心を、老子の教えで宥めていました。

 

 

この章を読んでいると、昔の、疲れ果てた私を思い出します。

 

 

以下は、私なりに解釈した訳文です。

 

「企(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。」

 

自分を大きく見せようとする者は、つま先で立ってみたり、無理な大股で歩いてみたり、かえって遅くなってしまうのです。

 

自ら見(あら)わす者は明らかならず、自ら是(よし)とする者は彰(あら)われず。

 

「私を見て」と焦りにのままに動いては、裏目に出てしまうことばかりでした。

「私は本当はすごいのに」と苛立っている時ほど、誰からも認めてもらえません。

 

ら伐(ほこ)る者は功なく、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。

 

何かしら自慢してみるのですけれど、それを誰が喜んで聞いてくれていたでしょう。

自慢すればするほど、地に足がついていない感じでした。

 

その道に於(お)けるや、余食贅行(よしぜいこう)と曰(い)う。

 

どの道それらは、これは食べ残しや贅肉と同じようなもので、あってもなくても、私の幸せを満たすものではありませんでした。

 

物或いはこれを悪(にく)む、故に有道の者は処(お)らず。

 

大切な人たちは、そんなもので、私の評価をしないのに、どうしたことでしょう。

むしろ、そういうものに囚われている私を、悪い方へ向かわないかと心配してくれていたでしょう。

道を知っている人たちは、とくに。

 

 

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