道-Tao-を描く 〜老子を詠む女性画家たちの講読会〜

<一晴画廊 企画展ブログ> 中国古典の名著、老子『道徳経』をテーマに2018年10月30日(火)〜11日11日(日)に京都の一晴画廊にて展覧会を開催します。それぞれの画家が老子を読み解き、絵画へと変換していく思考の過程を一般公開する、新しい試みのブログです。

もうひとつの学校  宮毬紗

宮毬紗です。

 

高校生のときの、日本画の担任の先生と話をしていました。

 

よく実習の授業をサボって、美術館に行っていたことを。

 

実習の時間を美術館で過ごし、その帰り道、学校から帰る先生と鉢合わせしていました。

 

「また美術館に行ってたのか」と、呆れられていました。

 

実習室は、好きではありませんでした。

 

人がいる場所で絵を描くことに、違和感がありました。

 

あの当時を思い出して、「私の絵の学校は、美術館でしたね」と言いました。

 

すると先生は、「成果を出せた人にしか、言えない言葉。あなたが画家にならなかったら、ただのサボりだよ」と笑いました。

 

京都国立近代美術館の常設展示には、いつ行っても、竹内栖鳳前田青邨徳岡神泉、山口華楊、上村松園秋野不矩など日本画家の、素晴らしい名品が陳列してあり、毎日でも通いたい場所でした。

 

絵の前で、ずっと立っていたい、この魔法のような発色を出すのは、本当に同じ人間なのだろうかと、いつも奇跡を見ているような、敬虔な気持ちになりました。

 

美術館は、美に祈る場所。

 

聖堂でした。

 

美術館へ行ったあとは、鴨川の河原に座り、本を読んでいました。

 

京都の鴨川の河原は、足を止めさせ、人を憩わせるのです。

 

リルケやヘッセ、背伸びをしてミシェル・フーコーウンベルト・エーコ

 

絵をみた気持ちの高ぶりを、本を読むことで発散させていたのでしょう。

 

水音で、周りの音がかき消され、あっという間に1人の空間になるのも好きでした。

 

老子を読んでいると、その頃を思い出します。

 

少女の世界と、大人の世界。

 

その狭間の時期に、苦悩がありました。

 

心と体を病みました。

 

食べ物を受け付けず、眠れず、死の魅力に引き寄せられていきました。

 

大人になるということを、喜びに感じられなかったのです。

 

水のように自在で、赤子のように柔らかな大人になる喜びを、知りませんでした。

 

20代読んだ老子は、鋭い賢者に見えました。

 

30代で読んだ老子は、世間を捨てた人に見えました。

 

そして46歳になった今の老子は、中庸を図って生きることに長けた、世慣れた策士にも見えます。

 

人間の幸せを追求した人。

 

サボりに呆れていた先生も、歳月の流れる間に、管理職になってしまいました。

 

心と体を病んで中退しても、いつも変わりなく、「才能があるから、それを活かして生きていきなさい」と言い続けてくださったことは、老子の姿と重なります。

 

 

 

 

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