宮毬紗です。
高校生のときの、日本画の担任の先生と話をしていました。
よく実習の授業をサボって、美術館に行っていたことを。
実習の時間を美術館で過ごし、その帰り道、学校から帰る先生と鉢合わせしていました。
「また美術館に行ってたのか」と、呆れられていました。
実習室は、好きではありませんでした。
人がいる場所で絵を描くことに、違和感がありました。
あの当時を思い出して、「私の絵の学校は、美術館でしたね」と言いました。
すると先生は、「成果を出せた人にしか、言えない言葉。あなたが画家にならなかったら、ただのサボりだよ」と笑いました。
京都国立近代美術館の常設展示には、いつ行っても、竹内栖鳳、前田青邨、徳岡神泉、山口華楊、上村松園、秋野不矩など日本画家の、素晴らしい名品が陳列してあり、毎日でも通いたい場所でした。
絵の前で、ずっと立っていたい、この魔法のような発色を出すのは、本当に同じ人間なのだろうかと、いつも奇跡を見ているような、敬虔な気持ちになりました。
美術館は、美に祈る場所。
聖堂でした。
美術館へ行ったあとは、鴨川の河原に座り、本を読んでいました。
京都の鴨川の河原は、足を止めさせ、人を憩わせるのです。
リルケやヘッセ、背伸びをしてミシェル・フーコーやウンベルト・エーコ。
絵をみた気持ちの高ぶりを、本を読むことで発散させていたのでしょう。
水音で、周りの音がかき消され、あっという間に1人の空間になるのも好きでした。
老子を読んでいると、その頃を思い出します。
少女の世界と、大人の世界。
その狭間の時期に、苦悩がありました。
心と体を病みました。
食べ物を受け付けず、眠れず、死の魅力に引き寄せられていきました。
大人になるということを、喜びに感じられなかったのです。
水のように自在で、赤子のように柔らかな大人になる喜びを、知りませんでした。
20代読んだ老子は、鋭い賢者に見えました。
30代で読んだ老子は、世間を捨てた人に見えました。
そして46歳になった今の老子は、中庸を図って生きることに長けた、世慣れた策士にも見えます。
人間の幸せを追求した人。
サボりに呆れていた先生も、歳月の流れる間に、管理職になってしまいました。
心と体を病んで中退しても、いつも変わりなく、「才能があるから、それを活かして生きていきなさい」と言い続けてくださったことは、老子の姿と重なります。
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