道-Tao-を描く 〜老子を詠む女性画家たちの講読会〜

<一晴画廊 企画展ブログ> 中国古典の名著、老子『道徳経』をテーマに2018年10月30日(火)〜11日11日(日)に京都の一晴画廊にて展覧会を開催します。それぞれの画家が老子を読み解き、絵画へと変換していく思考の過程を一般公開する、新しい試みのブログです。

全ては作ることへ   山名しおり

山名しおりです。

 

前回の記事で老子を取り上げている本を手に取るようにしていると書いていましたが、

その中の本で、なかなかインパクトのあるタイトルでしたので、紹介したいと思います。

 

ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 (ハヤカワ・ノンフィクション)

ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 (ハヤカワ・ノンフィクション)

 
 
 

 

この本の中で色々な中国古典を取り上げてられてますが、勿論「老子」も取り上げられています。
 その中で目を引く文章がありました。
 
「私たちのほとんどは極端に異なる領域ー仕事と余暇、職業上と個人的、神秘的と現実的、平日と週末ーに暮らしているため、人生が分割されているとかんがえてしまう(中略)しかし、人生を分割し、人生のいくつもの局面がそれぞれ無関係だと考えることで、わたしたちは自分にできることや自分がなれるものをみすみす限定している。老子なら、神秘的な悟りと日々の生活には関係があるだけでなく、二つを分離することで、わたしたちは両方を根本的に誤解していると指摘するはずだ」
 
この部分を読んで、私の中でモヤモヤと思っていたことをズバリ文章にしてくれているように感じました。
老子を勉強し始める前からジワジワと思っていたことがあります。
日常の中でどれだけの時間をクリエィティブなことに使えるか、いや、むしろ全てを作ることと捉えなおすことはできないだろうか。
「私」という個人は一人だけれども、当然のことながら色々な立場や顔がある。
筆を持ち描く時間以外は作家ではないのだろうか。
柔らかな感性を持つことで、他の作業に従事しているときだって「ものを作る時間」に変えることはできる。
 
ちょうど老子の勉強を始める前後あたりから、より明確に私は日常の全てを作ることへ繋げて行きたいと思うようになりました。
 
きっと人生の局面はそれぞれ無関係ではありません。
マイナスの経験をしたと感じても、全く違うところで後々役立つことも沢山あります。
それと同じで日常の中で感じ、考えることは描くときに「どの色を選択するか」「どんな線を描くか」その選択や決断をする力にも繋がっていきます。
画面上での技術も勿論大切ですが、日々の何気ない時間にこそ作ることを意識することでもっと良いものを作っていけるような気がしています。

 

老子は不思議で読めば読むほど雲を掴むような気持ちになり、ここからどんな絵を描けるだろうか、うまく形になるだろうか。正直、そう思う時もあります。

そんな不安な気持ちさえも含め、全ては作ることへ繋げて行きたい。
自分自身の限られた環境さえも精一杯、「作ること(描くこと)」へ引き寄せて行きたいと思っています。
 

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