道-Tao-を描く 〜老子を詠む女性画家たちの講読会〜

<一晴画廊 企画展ブログ> 中国古典の名著、老子『道徳経』をテーマに2018年10月30日(火)〜11日11日(日)に京都の一晴画廊にて展覧会を開催します。それぞれの画家が老子を読み解き、絵画へと変換していく思考の過程を一般公開する、新しい試みのブログです。

見えないものに耳を澄ます感性  山名しおり

山名しおりです。

 

先日の記事で母の一言から慌ただしく過ごしてしまっている自分自身に気付いたことを書きました。

 

ichiharugallery.hatenadiary.jp

 

 

その後で、息子とのやりとりでもふと気付かされたことがありました。

 

何気ない日常のことです。

 

テレビを見ていた息子に「少しだけ外出するけど、すぐに帰ってくるから待ってられるやんな?」と話しかけました。

息子は「うん、分かった」と言いました。

ほんの15分~20分程度の外出でしたので、声をかけて私は出かけました。

 

しかしテレビを半分見ながら返事していた息子はちゃんと私の話を聞いていませんでした。

帰ってくると半分玄関のドアを開けて涙声で私の名前を必死に呼んでました。

「どこ行ってたん、オレ探しに行こうと思ってた」というのです。

「え?出かけること言うたやん」と私。

「聞こえてなかった、分からんかった」と息子。

 

まぁここまでは、普通のやりとりだったわけですが、その後、息子に聞いた話に少しだけ驚きました。

「オレ部屋の中を色々探したんや。何回も呼んで、もしかしたらお母さん物凄く小さくなってて、返事してくれててもオレが聞こえてないだけじゃないかと思って。

小さくなったお母さんが返事してくれても(体が小さいと声も小さくなって)聞こえないからオレが気付けてないだけなのかと思った」

 

少しおとぎ話みたいになってしまいますが、息子は私が「居なくなった」のではなく「見えなくなった」だけだと思ったというのです。

目に見えないから居ないと先に考えずに、自分自身の通常の五感で捉えられないだけではないのか?と発想したところに息子の子供らしい純粋な感性を感じたとともに、大切なことを教えてもらった気がしました。

 

私たちは目に見えるもの、実体があるものに捉われすぎている時があります。

 

日常の感性で老子を読むと「道」の曖昧さや掴みどころのなさを感じますが、目に見えないものに耳を澄ましたり、小さな変化に思いを馳せることのできる感性で「道」を捉えようとしてみると少し「道」に近づいていけるような気がするのです。

 

私も五感を研ぎ澄まし、見えないものに耳を澄ます感性を大切にしたいと思った出来事でした。

 

 

 

 

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