道-Tao-を描く 〜老子を詠む女性画家たちの講読会〜

<一晴画廊 企画展ブログ> 中国古典の名著、老子『道徳経』をテーマに2018年10月30日(火)〜11日11日(日)に京都の一晴画廊にて展覧会を開催します。それぞれの画家が老子を読み解き、絵画へと変換していく思考の過程を一般公開する、新しい試みのブログです。

七、天は長く地は久し   山名しおり

山名しおりです。

 

「天は長く地は久し」

原文も「天長地久」とあり、書き出しがとても印象的な章です。

 

天も長くて地も久しい・・・・・。

ならば、「私」はどうすれば良いのだろう、と。

「私」という存在はちっぽけで、とても危うく感じてしまいます。

 

そして現代語訳を読み進めるとこんな一文に出会います。

 

「道」と一体となって天地の道理をわきまえた聖人は、(中略)我が身を人の外側におきながら、それでいておのずから人に招かれてそこにいる。

それは、私利私欲をもたないからではないだろうか。

だからこそ、かえって自分をつらぬいていけるのだ。

 

「私利私欲をもたないから、自分を貫いていける」とは少し穿った見方をすれば、綺麗事と捉えられなくもないですね。

 

それでも私は最後の一文が好きです。

故に能くその私(わたくし)を成す。

道と一つになって自然な流れに身をまかせていくと、そこに自分の個性をつらぬく道がひらけてくる。

 

個性を貫くというのは、潔く聞こえますが、実際はとても難しいことだと思うのです。

自らの環境や現状に言い訳してみたり、責任を転嫁してみたり。

もちろん何処かに甘えている自分自身もいる訳です。

 

続かないような努力や、一時的なものではなく

遠く久しい天地の中にいることを意識しながらも、自分の個性を貫いていけたならと私は正直なところとても憧れています。

 

しかし憧れで終わってしまっては意味がありません。

自分の手元に引き寄せたいという気持ちで、老子を読み進めるうちに、ふと目を閉じ、静かな気持ちのなかで思い描いていると、私なりに「私を成す」こと、その「道」がおぼろげに見えてきたように思います。

もっと深く読み込んで、「私を成す」ことに近づけるようにしていきたいと思っています。

 

〈書き下し文〉

天は長く地は久し。天地の能(よ)く長く且(か)つ久しき所以(ゆえん)の者は、その自ら生ぜざるをもって、故に能く長生す。ここをもって聖人は、その身(み)を後にして而(しか)も身は先(んじ、その身を外にして而も身は存(そん)す。その無私なるをもってに非ずや。故に能くその私(わたくし)を成す。

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