道-Tao-を描く 〜老子を詠む女性画家たちの講読会〜

<一晴画廊 企画展ブログ> 中国古典の名著、老子『道徳経』をテーマに2018年10月30日(火)〜11日11日(日)に京都の一晴画廊にて展覧会を開催します。それぞれの画家が老子を読み解き、絵画へと変換していく思考の過程を一般公開する、新しい試みのブログです。

老子から仏教へ  宮毬紗

宮毬紗です。

 

この記事を書いたあとで、しばらく仏教の経典を調べていました。

 

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時間の概念について、過去、現在、未来が同時に存在していることを経験したのですが、これは仏教で「一念三千」と呼ばれる状態に近いのではないかと考えています。

 

三千の世界のなかに、過去、現在、未来がすべて内包されているのです。

 

ちょうど今日掲載された、中谷彰宏さんの「妄想日記」は、この一念三千を物語にしたような感じでした。

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私も時折、同じような感覚になります。

未来から、その人との関係を見て、今すでに、その未来は過去になったような感覚で、現在を見ているのです。

 

初対面なのに、もう何年も、親しくした人のようなのです。

あるいは、すでに亡くなった人と、未来に出会う感覚がしたり。

 

輪廻転生については、老子には出てきませんが、名付けたものを器と呼び、名付けられていないものを道と呼ぶのは、人が器となる以前の、輪廻転生の、魂の自在な変容性を示唆しているようにも見えます。

 

輪廻は、私は信じています。

 

ある夢を見てから、中国人だったと感じています。

染織品を扱う、大きな店の、女店主でした。

 

私の魂は、再び染織に関わりを持つ家に生まれ、美術の仕事に、命の時間を捧げています。

 

中国にいた私の魂は、今の私であり、何百年先の未来の私も、同じ魂なのでしょう。

未来の魂から、今の私を見る感覚も、脳のなかでは自在です。

 

人は、遠い古から、人の本質を理解して、いまの私たちにも深く納得いくような、もうすでに完成された形で記録していたのだと思うと、時間というものが、直線的ではないことを実感します。

 

老子の道が、私のなかでは仏教に近づいていくのが面白くて、自由に学んでいます。

 

 

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