長谷川幾与です。
少し老子のテーマとは話がずれるかもしれませんが、先日参加したシンポジウムの報告をいたします。
ichiharugallery.hatenadiary.jp
オーストリアと日本の技術者、科学者の方々を中心とした国際シンポジウムで、第5回目を迎えた今回のテーマは、“デザインとアート”でした。
私はパネルディスカッションに画家として登壇しました。
科学者の金谷一朗氏が司会をされ、英国のSir Dr. Hermann Hauserさん(昨年ソフトバンクが3.3兆円で買収したARMの提唱者、育成者、投資者)、セイコー役員の服部氏、凸版印刷マネージャーの高野氏、マツダ開発部の原田氏がパネルに参加しました。
第一線で研究と開発に携わる方々と、英語でディスカッションをするというハードルの高いものでしたが、楽しく皆さんと対話をすることができました。
AIの登場で、今後世界が急速に変わろうとしている中、TechnologyとHumanityがどうあるべきかが、論点でした。
AIの存在を恐れるのではなく、互いに刺激し合うことで、より豊かなアートが生まれるのではないかという希望のある結論でした。
AIが作るアートに、人が想像力を刺激され、アートがさらに進化する未来に期待します。
アートに関する内容を少し抜粋したいと思います。
Q. 優れたアート作品は鑑賞者の想像力を刺激し、感動させます。近年ではAIによるアート制作の例やデザイン例がまだ稚拙ながら見受けられるようになりました。今後AIは人の心を動かすような作品を生み出す可能性はあるとお考えでしょうか?もしそうだとすると,アートの本質は鑑賞者の想像力ということになるのでしょうか?
A. 今後、人が描いたものか、AIが描いたものかわからない作品が出てくるでしょう。例えばオランダが行った”The Next Rembrant”プロジェクトでは、データを集積し3Dプリンターで絵画の凹凸まで再現することによって、AIがレンブラントそっくりの絵画を描きあげました。人の心を動かすような作品を、AIが生み出す可能性は十分にあるように思います。
しかし、アートの本質は、鑑賞者の想像力だけではありません。アートの本質はアーティストが伝える「言葉、メッセージ」です。古典芸術においても、現代美術においても、アーティストは伝えたいことがあるから、アートを作ります。アーティストのメッセージがアートにおいて最も重要と言えます。AI自身からメッセージが生まれれば、初めてアートの本質に近づいたと言えるのではないでしょうか。
Q. 従来のアートの価値はその希少性に依存しすぎているかもしれません。画家のように模写するプリンタ、あるいは画家のように新作を描く「AI搭載プリンタ」が生まれ、初期の反発が終わった頃、何がアートで何がアートでないかという問は無意味になっているでしょうか?その頃、アートとテクノロジーの区別は無くなっているでしょうか?
A.アートの本質はアーティストの言葉であり、それがアートとテクノロジーを区別します。テクノロジーは、アートを生むための技術であり、手段です。
時代に合ったメッセージを、テクノロジーによって発信し続けることが、アーティストの役割であると思います。
ー
シンポジウムに参加された方々は、皆様勉強熱心で、気さくで、とても豊かな心を持っておられるように感じました。
シンポジウムの後に行われた交流会では、早速こちらのブログを見てくださった方がおり、老子の話で盛り上がりました。
直前に読んでいた、ドリアン中川さんの老子の本で、「自分ではないものに憧れることが一番苦しい」「足るものを知る」という言葉が印象的でした。
これにより、いま自分の持っているものの中での最大限を行う気持ちで、異分野の方々と関わることができたように思います。