道-Tao-を描く 〜老子を詠む女性画家たちの講読会〜

<一晴画廊 企画展ブログ> 中国古典の名著、老子『道徳経』をテーマに2018年10月30日(火)〜11日11日(日)に京都の一晴画廊にて展覧会を開催します。それぞれの画家が老子を読み解き、絵画へと変換していく思考の過程を一般公開する、新しい試みのブログです。

「戸を出でずして」はインプットする時間   山名しおり

山名しおりです。

 

これまで、老子の中に流れる「普遍性」について仏教用語に派生しつつ触れてきました。
老子が時を経ても普遍性を感じる理由の一つとして、日々に根差した思考であるからだと私は考えています。

 

仏教については、今後また鎌倉仏教に注目して考えていきたいと思っていますが、その中でも禅宗の思想の中に色濃く老子の思想を伺うことができると思います。
この点について長谷川さんが先日の記事でも触れておられます。

 

ichiharugallery.hatenadiary.jp

 


特に、四七章「戸を出でずして」については、禅の教え「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」と合わせて解説されている書を多く見受けます。


内なる自分を見つめよとは、正に内面へ向かうものでありますが、私自身はこの章をどう捉えるかということを一つの課題としてずっと考えていました。

 

思索する中で、私は四七章を「インプットする時間」のことであるという捉え方に辿り着きました。

 

私は「内面を見つめる」という解釈よりも、「様々な事柄をインプットして自分の中に取り込んでいる時間」と捉えています。

日々の蓄積から思考するという地に足を付けた感覚も大切だと考えているので、そう捉えると、内面を見つめつつも未来に向けて思考を展開してく感覚が見つかりました。

 

詰まるところは「海を一息て飲んで来い」に共通する感覚の広がりと同じようなものかもしれません。
 

「私」という器の中に日々をインプットして、未来に向けて思考を展開していく。
そこに五感を通しての感覚を合わせ、如何に自分らしい時間をかけた消化をするか。

そこから生まれる絵画を目指していきたい思っています。

少しずつ、老子を読み解きながら、描く方向性を考えることに直結する感覚を掴めてきたように感じています。

 

<書き下し文>

四七章「戸を出でずして」

戸を出でずして天下を知り、牖(まど)より闚(うかが)わずして天道を見る。その出ずることいよいよ遠(とお)ければ、その知ることいよいよ少なし。ここを以って聖人は行かずして知り、見ずして名(あきら)かにし、為さずして成す。

 

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