道-Tao-を描く 〜老子を詠む女性画家たちの講読会〜

<一晴画廊 企画展ブログ> 中国古典の名著、老子『道徳経』をテーマに2018年10月30日(火)〜11日11日(日)に京都の一晴画廊にて展覧会を開催します。それぞれの画家が老子を読み解き、絵画へと変換していく思考の過程を一般公開する、新しい試みのブログです。

「三十の幅」にみる生命観  山名しおり

 

 山名しおりです。

 

「戸を出でずして」の章が私自身の心の中に落ちたことで、11章「三十の幅」へのイメージが広がりました。

 

文章の表現としても、11章「三十の幅」は「車」や「器」など具体的な物を挙げて説明がされているのが特徴的です。

だからこそイメージもしやすいのですが、何もないところにこそ意味があるのだと語る思慮深い章です。

特に車輪の中心については「何もないところがあるから車輪の役割を果たすのだ」と表現されています。

ー何も無いからこそ無限に生まれるー

それは第一章でも語られている内容です。

 

仏教、法華経を解説する書籍を読んでいる中で、老子を解釈する上でやはりこの点は重要な部分であると気付かされました。

それは法華経無量義経」の文には“三十四の非ず”で表現される部分があると知った時です。

「其の身は有に非ず亦た無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず・・・」と“非ず”が三十四繰り返されるのです。

三十の幅の「車輪の何もないところにある意味」と法華経の「無量義経」で否定を重ねてしか表現できないものとは一体何か。

 

そこに私は共通点を見出し興味深く捉えています。全ては繋がっているのだという生命観と表現すれば良いでしょうか。

 

私は、ここが老子道徳経に流れる思想の根幹の一つだと確信しています。

しっかりと読み深めていきたいと思っている部分です。

 

<書き下し文>

三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。その無に当たりて、車の用あり。埴(つち)を埏(こ)ねて以(も)って器を為(つく)る。その無に当たりて、器の用あり。戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以って室(しつ)を為る。その無に当たりて、室の用あり。故に有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。

 

にほんブログ村 美術ブログ 創作活動・創作日記へ
にほんブログ村

にほんブログ村 美術ブログ 画家・女流画家へ
にほんブログ村

画廊はこちら

ichiharugallery.hateblo.jp