道-Tao-を描く 〜老子を詠む女性画家たちの講読会〜

<一晴画廊 企画展ブログ> 中国古典の名著、老子『道徳経』をテーマに2018年11月3日(文化の日)〜11日11日(日)に京都の一晴画廊にて展覧会を開催します。それぞれの画家が老子を読み解き、絵画へと変換していく思考の過程を一般公開する、新しい試みのブログです。

老子と荘子

山名しおりです。

 

改めてこのブログのテキストとしている金谷氏著の解説を読んでいました。

 

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 一般的に「老壮思想」と括られて論じられることも多い

荘子」と「老子」の違いについて、本書の解説部分で金谷治氏は次のように述べています。

 

老子荘子との違いは、どちらも自然思想といってよいものでありながら、

    老子ではこの現実の世俗世界についての関心が強いという点である。

〈中略)絶えず現実世界との関係を考えているというところに、その特色がある。―

 

この解説文を改めて読み直すと「成程」と腑に落ちるものがありました。

前回の記事で、抽象的に見える老子の文章には、リアルな視点があるのではという問いかけについて触れました。

 

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正に現実世界との関係を考えるということは、そこでどう考え、対応するか、ということです。

法華経に視点を置きつつ老子を読み直していく中で、そういった側面を何度も意識させられました。

しかし、それは決して「処世術」「現世」という側面のことではありません。

あくまでも「自分」が「今現在」をどう捉えるかということです。

金谷治氏が指摘しているのも、老子の物事へ対する捉え方そのものが、

世俗世界(現実世界)に根差しながらも「どう対応していくか」という特色が強いということではないでしょうか。

 

学びの欠片というのは繋がっていきます。

繋がるからこそ学びは深く、考えさせられます。

 

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