道-Tao-を描く 〜老子を詠む女性画家たちの講読会〜

<一晴画廊 企画展ブログ> 中国古典の名著、老子『道徳経』をテーマに2018年11月3日(文化の日)〜11日11日(日)に京都の一晴画廊にて展覧会を開催します。それぞれの画家が老子を読み解き、絵画へと変換していく思考の過程を一般公開する、新しい試みのブログです。

作品について 長谷川幾与

長谷川幾与です。

本日から展覧会「老子の道-Tao-を描く」 が始まります。


こちらのブログで、私が出品している作品の解説をしていこうと思います。


今回、作品の制作をするにあたり、「道-タオ-」に対して二通りのアプローチをしました。

一つ目は、老子道徳経の中で印象の残った言葉をいくつか書き出し、言葉をイメージに置き換えていく方法です。

「玄」、「衆妙」、「惚」、「恍」、「深淵」、「空」、「清静」が該当します。

 

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「玄」 27.3×19.0cm 

岩絵具、水干絵具、墨、絵絹

 

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「衆妙」18.0×14.0cm 

岩絵具、水干絵具、墨、絵絹 


「玄」と「衆妙」は、老子道徳経の第1章に出てくる言葉で、「玄」はもともと色を染め重ねて出来た赤黒い色のことをいいます。

その微妙で不可解な色調から転じて、奥深いわかりにくいものを表すようになったそうです。

老子道徳経の中で、「玄」は「道-タオ-」の世界の不可思議さ、現象の奥底に潜む根源世界を形容するものとして、使われています。

語源をに従って「玄」を視覚化するため、絵絹を用いてゆっくり色を染め重ねていきました。 

 

第1章には「玄のまた玄は、衆妙の門」とあります。

「衆妙」は全てのものが生まれ出るとされる門です。私の中の「衆妙の門」のイメージは、静寂で厳かでありながら、計り知れない深淵に繋がっていく、何か大きなものがこれから生まれ出てくる予感のする風景でした。 

 

 

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「惚」 53.0×40.9cm 

岩絵具、黒箔、雲肌麻紙

 

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「恍」18.0×18.0cm 

岩絵具、墨、雲肌麻紙

 

老子の第21章では、

「道」は「恍惚 = おぼろげで捉えどころがない様」と表現されています。

この「恍」と「惚」を言い表した章がとても美しく、作品にしたいと考えました。

 

「道の物たる、これ恍これ惚。恍たり惚たり、その中に物有り。恍たり惚たり、その中に像有り。窈たり冥たり、その中に精有り。その精甚だ真、その中に信有り。」

 

訳:「道」というものはおぼろげで捉えどころがない。おぼろげで捉えどころがないが、ぼんやりとした中に何かの存在がある。捉えどころがなくておぼろげではあるが、そのぼんやりした中に何かの形がある。奥深くてほの暗い、そのかすかな中に霊妙な精気が動いている。その精気はとても純粋で、その純粋な動きの中に確かなものがある。」

 

 

   

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「深淵へ」 40.9×53.0cm 

岩絵具、水干絵具、高知麻紙

 

老子の中では、「道」の働きは水の働きに近いとされ、

第4章、第16章のように、「道」は深い静けさの奥に潜んでいると表現されています。

 

この作品では、深淵に流れ続ける水をイメージしています。

「道はそこ知らずの淵のように深々としていて万物の根源であるらしい」「道は深い静けさを持って、根元に帰っていく」という老子の表現が強く印象に残っています。

 

 

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「呼吸」 65.2×91.0cm 

岩絵具、墨、雲肌麻紙 

 

作品「呼吸」は、上記の五つの作品とは違ったアプローチで表現を試みています。

この作品は、私の中の「右脳」の声だけに耳を傾け、制作しました。

 

ichiharugallery.hatenadiary.jp

 

「道」に近づくには、瞑想した先に見える世界に近づく必要があると考えています。

右脳に従って描かれた風景は、深い安らぎにつながっているのではないかと感じています。

 

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